vol.11 文月に緑。あの頃、朝顔を育てられなかった私の、ベランダ栽培について。
わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の移り変わりとともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。
朝顔を育てられない子どもだった。小学校のとき、一年生とか二年生とか、まだ低学年の頃だったと思うけれども、学校で朝顔を育てさせられた。教室のベランダ、窓に沿ってずらりと並べられた小さな鉢。生徒ひとりに一つずつ与えられ、自分で種を植え、それぞれに毎日の水やりを課された。水をやれば、朝顔は育つ。ぐんぐんと伸びる茎や、やがて咲く色鮮やかな花は、幼心にも「成長」の感動を与えるに違いなく、とてもよい情操教育だったと思う。その朝顔を、わたしは早々に枯らした。枯れた理由は明快だった。水をやらなかったのだ。
ずらりと並んだ鉢のそばには、当時まだスチール製が主流だった空き缶も並んでいた。コカコーラとか、ポカリスエットとか、今ではあまり見なくなった250mlの細長い缶が多かった。そこに水道水を汲んで、朝顔にやるためだ。鉢と鉢のあいだに置かれた缶のなかで、ほとんど使われていないわたしの缶だけが、何だかうらさびれた色をしていた。
水をやらなかった理由も明快で、面倒くさかったからだ。わたしはとにかくルーティーンワークが苦手な子どもだった。朝学校に来て、缶に水を汲み、朝顔にやる。この単純作業が、どうしても出来なかった。時々は気まぐれにやるものの、あとの日は、窓から見える自分の朝顔がじわじわと草臥れていくのを、見て見ぬふりをして過ごした。そういう自分が後ろめたくて、すごく恥ずかしかった。
2年前、初めてのベランダ栽培
植物を育てられない、というのは、だからわたしにとって幼少期からのコンプレックスだった。自分という人間のだらしなさを象徴する欠点のように思っていた。そんなわたしが2年前、なぜベランダ栽培なぞに手を出そうと思ったのか、うまく思い出せない。覚えているのは、休日に思い立って、夫に頼んで車で園芸店に連れていってもらったこと。そこの店員さんを「完全な初心者なのですが、紫蘇を育てるのは簡単ですか?」「あと難しくないのはどれですか?」「虫はどのくらいの確率でつくものですか?」などと質問ぜめにしたこと。デザインのいい高価なプランターを買おうとしたら「(どうせ枯らすんだから)とりあえず安いのにしたら?」と夫から的確な助言を受けたことなどだ。
そう、わたしは紫蘇を育てたかった。なぜならば、わたしも夫も紫蘇が好きで、たくさん食べるからだ。それで、紫蘇がベランダで採れたらすごくいいなあと思ったのだった。書きながら思い出した。
そうして、店員さんと相談して買ったのは紫蘇の種とバジルの苗だった。あといちばん安いプランターと、プランターの水はけをよくする石と、「だいたい何でも大丈夫」な栄養の入った土を買い、家に帰って張り切って植えた。土をいじる感触がすごく新鮮で、なにか特別なことをしているような気持ちになってわくわくした。そんな風に育て始めた紫蘇とバジルを、わたしはひと夏かけて、やっぱり枯らしたのだった。水をやるのを忘れに忘れ、思い出しても忘れたふりをし、土も葉もカリッカリに干からびてしまったプラスチックのプランターが、ベランダの隅に数ヶ月間佇んでいた。
去年、二度目のベランダ栽培
ベランダへ出る度わたしに自己嫌悪を突きつけてきた、カリッカリの紫蘇とバジルは、冬を越す前にはさすがに片付けた。捨てるとき、プランターと土のあいだには2センチほどの隙間が開いていて、茎を掴んで持ち上げると、痩せきった土も軽々とついてきて悲しくなった。その悲しみごと、わたしはがさっとゴミ袋に捨てた。
そして去年の春。もしかしてと思って、もう一度プランターを引っ張り出し、紫蘇とバジルを植えたのだった。そして、置く場所を変えた。前の年は部屋の南側、わたしのワークスペース側の窓辺に置いていたのを、東側の、キッチンに立つとちょうど対面する位置に置くことにした。普段の生活のなかで、いちばん目に入る窓の外だ。置いた瞬間、何だかいけそうな気がした。
キッチンにいる自分と、ワークスペースにいる自分、あとはリビングでくつろぐ自分などがいるとして、紫蘇とバジルをいちばん愛せるのは、キッチンにいるときの自分だった。それはそうだ。わたしのベランダ栽培は、基本的に食材を育てているのだから。そしてキッチンにいるとき、わたしは大抵立っていて、水をやるのによっこいせと改めて立つ必要のない状態にあった。そういう状態のときに目に入る位置に、プランターは置かれたわけである。
違いはこれくらいのことだったと思う。このささやかな環境の改善によって、わたしは二度目のベランダ栽培に成功したのだった。きちんと水を与えられた紫蘇とバジルはすくすく育ち、収穫期をむかえ、日々の料理におおいに活躍してくれた。まさか、自分で育てた植物を自分で調理して食べられる日が来ようとは、とわたしは心底感動したものだった。
今年は、雑な寄せ植え
今年の春は、例のウイルスのせいでいつも種や苗を販売している近所の花屋が休業していたし、わたし自身も外出自粛ですっかり精神のぐうたらさが極まっていたので、(今年は植えなくてもいいかなあ……)などと思っていたのだけれども、ある日散歩に出たときに、通りすがりの園芸店で紫蘇とバジルの苗を見かけ、うっかり買って帰ってきてしまった。
その店のことは、よく通る道沿いにあるので知っていた。ただ、飾り気のない広々としたスペースに、たくさんの植物がおよそ「ディスプレイ」とは言い難い陳列でぎゅうぎゅうと並んでいるので、業者の倉庫的な場所なのかなと、何となく思っていた。だけどその日は、見るからに個人のお客さんという感じの男性が店頭で苗を見つくろっていて、(あ、入っていいんだ……)とわたしも足を踏み入れたのだった。実際に業者にもおろしているような店なのかもしれない。すべての苗が、近所の花屋で買うときの半分の値段で売っていて、種類もうんと豊富だった。わたしは調子に乗って、パクチーとレモンバームの苗も買った。
苗を売ってくれたおじさんに「パクチーとレモンバームは寄せ植えしても大丈夫ですか?」と尋ねると「大丈夫大丈夫。大体何でも大丈夫だよ」と朗らかに言うので、鵜呑みにして、紫蘇とバジル、パクチーとレモンバームの苗をそれぞれ同じ鉢に植えた。
「ジェノベーゼ」って何? という話
片仮名で「ジェノベーゼ」と画像検索すれば、おおよそ緑色のソースが絡んだパスタなどが並ぶ。その緑のソースの殆どが、摺りつぶしたバジルの葉とオリーブオイルを主体とした、あとは松の実やカシューナッツ、にんにくやチーズなどを入れたものであるし、殆どの日本人にとって「ジェノベーゼ」とはそういうものだ。わりと大手のカフェメニューにだってそういうものが「ジェノベーゼ」としてメニューに載っている。
一方で、「genovese」とイタリア語(?)で検索すると、並ぶのは何となく茶色いソースのかかった料理ばかりになる。結論から言うと、日本でこれほどまでに浸透している「ジェノベーゼ」の認識は、「genovese」とは随分ズレているらしい。これはわたしが、紫蘇の葉をペーストしてソースを作ろうと思ったときに「これは、何ベーゼ? 紫蘇ベーゼ? そもそもジェノベーゼって何?」と思って調べたときに知ったことだ。それまでは、「ジェノ」がバジルで、「ベーゼ」が摺りつぶしたもの、みたいな意味かと勝手に思っていた。全然違うらしいので、気になる方は「genovese」が何なのかどうぞ調べてみてください。以来、わたしは「ジェノベーゼ」ではなく「バジルソース」「バジルペースト」「○○のペストパスタ」などと呼ぶようにしているけれども、言語は意味を変容させていくものなので、「ジェノベーゼ」でももういいような気持ちは、ずっとある。
写真とあまり関係なく過去を遡っているあいだに、「ジェノベーゼ」ことバジルのペストパスタが出来上がりつつある。初めて作ったときは、インターネットに書いてあるレシピどおりに細かく分量を計ってソースを作ったものだけれども、最近はかなりてきとうに作っている。松の実がなければピーナッツやカシューナッツを代わりに入れるし、量も目分量だ。ブレンダーで混ぜるだけなので、味が薄ければ足せばいいし、いつも美味しいので問題はない。
バジルソースはわりと保存が利くのでいっぺんに沢山作ってもいいのだろうけれども、バジルの苗一株だと、一回の収穫ではそんなに大量には葉をとれなくて、ふたりぶんのパスタで大体使い切ってしまう。来年は二株育ててみようかな。
レモンバームでティーを淹れる
調子に乗って苗を買ったレモンバームについて、わたしは何も知らなかった。ただいい匂いがしたのと、「レモン」と付いている植物は大体いいに違いない、という大雑把な理由で選んだものだった。レモングラスとかでも多分よかった。
ある程度育ってから、さてどうしようと思って「レモンバーム」を検索すると、葉っぱに湯を注いでフレッシュハーブティーにするのがよろしいと多くのサイトで紹介されていた。言われるがままにティーを淹れたときの感動を、わたしは忘れないと思う。
わたしはもともと、ハーブティーがすきだ。数年前、舞台の打ち上げで友人宅(実家)で飲み明かしたことがあるのだけれども、翌朝、そこの家のお母さまが出してくれたハーブティーがもう、驚くほど心身に染みて、「何これ美味しい……欲しい……」とその後同じものを買ってもらうほどに、すきになった。それは「伊豆松崎レモングラス工房」という、その名のとおり伊豆にある店のハーブティーだったのだけれども、今書きながらサイトを見てみたら、他にもレモングラスの石鹸やスプレーも売られていて、欲しい……。
[伊豆松崎レモングラス工房]
http://matsuzaki-lemongrass.com
わたしはベランダで採れたレモンバームティーを飲んで、あのときの感動を思い出したのだった。心身に染みわたるような清涼感、瑞々しい香り、清潔な後味。やっぱりレモングラスとレモンバームの区別がついていないことは今は置いておこう。葉っぱに湯を注ぐだけで、こんなに素晴らしいティーになるなんて、ほんの150円の苗から、こんな幸福を生みだすことが出来るなんて、すごい。すごいことです、これは。買ってよかった、レモンバーム。
ベランダで育つ、食べられる草
そんな感じで、ベランダで採れたバジルとレモンバームで、お昼ごはんを作った。三年目のベランダ栽培は、今のところ順調だ。今年は種を採取するところまでいけるといいなと思っているけれども、今だってもうじゅうぶん恩恵を受けている。今日使わなかったパクチーも、紫蘇も、日々活躍しているし。パクチーは、スーパーで買うときは高いイメージだったけれども、苗を植えたらどんどん育って食べ放題なので、パクチーがすきな人は絶対に植えたほうがいいと思う。食べられる草がベランダに生えているというのは、ほんとうに素晴らしいです。
ベランダ栽培がずいぶん生活に馴染んだので、「植物を育てる」ということへのコンプレックスも消えつつある。もっと色んな種類の植物の育て方を、少しずつ覚えていきたい。そして来年あたり、ダサいプラスチックのプランターを買い換えられるといいな。モルタルで自作するのもいいかもしれない。
確かな手触りがあること
こんなことあまり言いたくはないけれど、これから世界がどうなっていくのか、今という時代をどういう気持ちで生きればいいのか、どこを向いて怒り、誰に寄りそって歩めばいいのか、もう全然わからなくなってしまった。だからこういう、水をやって育てた植物で、料理をして、食べて、美味しい、とか。プリミティブなことに縋りたくなってしまうのかもしれない。
もう全然わからないけれども、少なくともここに嘘はない、という小さな世界で、呑気なふりをして、笑えるうちは笑っていたいなと思う。一年間で終わる気がしていたこのコラムも、やんわり続くことになりました。先のことが曖昧なまま、もう少し書いてみます。どうぞよろしくお願いします。
それでは、また葉月に。
Photographer : 塚田史香(Twitter @tsukadacolor)
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Q本家が中古マンションを買ってリノベーションに踏み切ったキッカケから、物件購入、プラン打ち合わせ、竣工までを綴った連載コラム『正直なすみか』のアーカイブはこちら。
中古を買ってリノベーション by suumo
中古を買ってリノベーション by suumo (2019Spring&Summer)
「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにてQ本家が紹介されています。