わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の風習とともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。
干し柿を、干そうと思っていた。しかし干さなかった。これまでだって、一度も干したことはない。干し柿を干すのに適した季節は、11月頃だとインターネットに書いてあった。しかし、干し柿を干そうと思っていたことを忘れたまま、わたしの11月はなんとなく過ぎていった。ところで「干し柿を干す」は言葉としておかしい。干す前からもう干されたことになっている。「柿を干す」のほうが正しいのかもしれない。けれどもなんだか、「干し柿」は「干し柿」として私のなかに存在していて「柿」とは別物なので、どうしても「干し柿を干す」と書いてしまう。これはこの記事を読むにあたって本当にどうでもいいことです。
何が言いたいかというと、干し柿を干し忘れたわたしは、この季節を待っていたのだ。スーパーに干し柿が並ぶこの季節を。2019年3月のあの日、柿バターと出会ってから。ずっと。
みもっと先生の柿バター
わたしが柿バターと出会ったのは、みもっと先生の「おいしみ研究所」でだった。みもっと先生というのは、この国でいちばん彩度の高い服を着るイカした料理研究家だ。リノスタでも、4年ほど前のインタビュー記事が掲載されているので宜しければご一読ください(本格タイ料理に、みんな集え! 美味しいこと、楽しいこと、もっともっと。【みもっと先生 / おいしみ研究所】)。わたしは、みもっと先生に憧れている。
そのみもっと先生が、目黒にお店を構えるというので「おいしみ研究所」を閉めることになった。そこで、研究所で使っていた食器や道具たちをお安く譲ってくれる会、のようなものがあって、わたしはワクワクしながらそこに出向いたのだった。その日は、食器や道具が買えるだけでなく、生牡蠣や牡蠣フライ、ちらし寿司、ココナッツアイスなど、みもっと先生の美味しい料理も食べることができたし、みもっとセレクトの美味しいワインもたくさん並んでいて、初めて会った人と「美味しいですね」を共有することですこし仲良くなれたりもした。「おいしみ研究所」は、その名のとおり素敵な場所だった。
みもっと先生が作る料理は、いつも、とても美味しい。そもそもわたしは舌が雑というか、世の「グルメ」な人と比べて、自分のなかの「美味しい」という感覚にそれほど多様性がないように感じていた。美味しいものは、美味しい。ミシュランで星をとったラーメンも、カップラーメンも、「美味しい」に変わりはなく、同じくらいに満足するタイプの人間だった。けれども、みもっと先生の作るものを食べると、いつも発見があった。「あ、こんな「美味しい」もあるのか」というような、新しい感覚。それがうれしくて、わたしはみもっと先生が提供してくれるものは、たとえ得体の知れない異国の料理であっても、なんでも食べてみたいと思うようになっていた。
だから、「カキフライ」「生かき」と並んで「柿バター」と表示されていたメニューも、気になった。柿バターが何かも分からないまま「これもください」と言うと、みもっと先生は手際よく、ひとつの干し柿を切り、いかにも柔らかそうなバターを塗り、塩をぱらぱらとふって、包んでくれた。その場でかぶりつく気まんまんで待っていたわたしが、包まれてしまった柿バターに困惑していると、みもっと先生が「お家に持って帰って、冷やして、少しずつ切って食べてね」と食べ方を教えてくれた。
これが、わたしと柿バターとの出会いだ。そして、家に帰ってみもっと先生に言われるがまま、冷やして切って食べた柿バターは、本当に本当に美味しかった。そのときのわたしのTwitterを見てください。
きのうおいしみ研究所で買って帰った柿バター、柿バターを食べたことがなかったのでどんなものかと味見をしたら旨すぎてどんどん切って食べて殆どなくなってしまった。何これ。こんなの麻薬じゃん。あと50個買えばよかった… pic.twitter.com/kkpR9G14aH
— Q本かよ (@qmoto) March 22, 2019
キッチンでひとり、何とはなしに、味見のつもりで端っこを薄く切って食べてみると、こう、干し柿のぎゅっとした甘味と、バターのコク?(コクとは何だろう)との、マリアージュ? が脳に染みわたるように広がって、「なんだこれは??」と思いながらもう一切れ食べて、本当は夜に帰宅するはずの夫といっしょに食べるつもりであったのに、もう一切れだけ、もう一切れだけ、と思ううちに、結局ひとりで全部食べてしまったのだった。わたしにはそういう意志が弱いところがある。
市田柿とカルピスバター
あれからずっと、わたしはこの季節を待っていた。本当なら、うっかり丸ごと食べてしまったあの時に、それでもやっぱり夫にも食べさせたくて、「自分で作ろう!」とすぐにスーパーに走ったのだけれども、もう3月も半ばを過ぎていたからか、スーパーには干し柿が並んでいなかったのだ。そしてついに、先日。売り場に並ぶ干し柿を見つけた。田舎者のわたしは、干し柿と言えばおばあちゃんが気まぐれにくれるおやつだと思っていたので、知らなかった。スーパーに並ぶブランドものの干し柿は、まあまあ高い。けれども、躊躇なく2パックを購入した。積年の思いがあるのだ。今度こそ、自分で作って、お腹いっぱい柿バターを食べたい。夫にも一口あげたい。
そして、肝心のバターである。バターについて、わたしは知っていることが一つある。それは「高いバターは旨い」ということだ。わたしはもともとバターが好きで、高級品として有名なエシレバターや、バターコーヒーを作るのでおなじみのグラスフェッドバターなど、いろいろなバターを自分の舌で確かめたので、間違いない。バターの値段による味の違いは、わたしの雑な舌でもわかるくらいに明確なものだ。口に入れ、その味と香りが広がったときの幸福度がまるで違う。高いバターは、旨い。
というわけで、柿バターにも存分に旨いバターを使うつもりで売り場に向かったのだけれども、いざエシレバターを目の前にすると怯んでしまった。バターについて、知っていることがもう一つ……「高いバターは、高い」。バター売り場で各種バターと睨みあいをつづけた末に、わたしはたった50gで600円もするエシレバターを諦め、450gで1500円のカルピスバターを買ったのだった。カルピスバターも、じゅうぶんな贅沢品だ。
市田柿のミルフィーユ
わたしが柿バター、つまり干し柿とバターのマリアージュについて知ったのは「おいしみ研究所」でだけれども、どうやら世の中には「市田柿のミルフィーユ」という、その世界(どの世界だろう)では定番の商品があるらしい。わたしが柿バターの美味しさについて騒いでいると、そうSNSで教えてくれた人がいた。干し柿にブランドがあることさえ知らなかったけれども、そもそもスーパーには「市田柿」しか売られていなかったし、帰宅してから調べると、どうやら市田柿のミルフィーユに使われているのもカルピスバターのようだった。つまり、偶然ではあるものの、わたしの柿バターづくりは完璧な布陣で始まった。
切って、塗って、包む
柿バターづくり、と言っても、やることはいたって簡単だ。干し柿を真ん中で切って、間にバターをたっぷりのせて、塩をふって、包む。そして冷やす。わたしはおいしみ研究所で見たみもっと先生の手つきを思い出しながら、どんどん作った。塩は、確かみもっと先生は無塩バターを使っていて、「おつまみで食べるなら」と言いながら塩をふってくれていたなと思い出しながら、わたしの買ったカルピスバターは有塩のものだったけれども、ちょろりと味見をして、やっぱり少し塩をふることにした。
切って、食べる
正直なところ、ちょっと不安だった。柿バターの原体験が強烈すぎて、時間も経っているし、美化してしまっていて、もう一度食べたらがっかりするのではなかろうか、と。けれども、冷やした柿バターに包丁を入れ、その美しい断面を見たときに、これだよこれ、と思った。柿バターの断面は、とても美しい。干し柿の断面にバターがみっちりと詰まっていて、その曲線のコントラストがとてもいいのだ。みもっと先生の柿バターを切ったときも、食べる前にまずそれを思ったことを思い出した。
そして、食べる。ぜんぜん、がっかりしなかった。およそ一年ぶりに食べた柿バターは、やっぱり美味しかった。マリアージュ。焦がれていたものを食べられてとても幸せだった。しかも、たくさんある。2パック買ってよかった。夫にもたくさん食べさせてあげよう。
念願の、柿バター。これはきっと、これから毎年作ることになると思う。スーパーの入り口すぐ、右手にある果物コーナーの端に「市田柿」が並ぶ季節に。ちなみに、わたしがSNSで大騒ぎしていると「バターじゃなくてクリームチーズでも美味しいですよ」とか「干し柿以外にもドライフルーツとバターの組み合わせは神」とか、いろいろ教えてもらうことができた。また今度試してみようと思っている。
わからないけれども、この世界には、すごく恵まれていて「美味しいものを食べ尽くした!」と思っている人も、いるのだろうか。いるのだとしたら、わたしは自分がそうではなくて良かったと思う。そもそもそんなにグルメではないし、それほど情熱をもって「美味しいもの」にアンテナを張っているわけでもない。きっとこれからも張らない。いかんせん舌が雑なつくりなので、生活のなかで優先順位が上がってこないのだ。けれども、普通に生きていても、時折ふと、柿バターのように、宝物みたいな美味しさに出会うことがある。それはすごくうれしいことだ。
きっと世界には、わたしの知らない美味しいものがそれはもうたくさんたくさんあって、生きているうちには出会いきれないくらいたくさんあって、だからこそ、また出会えるに違いない。そう期待できることが、わたしはとてもうれしい。
そんなわけで二月。
節分でも、バレンタインでもなく、柿バターの回、終わります。
それでは、また、弥生に。
Photographer : つかだふ(Twitter @tsukadacolor)
中古を買ってリノベーション by suumo
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「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにてQ本家が紹介されています。