vol.07 睦月、餅つき。海苔にきな粉に、おろしに納豆、そして善哉。
わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の風習とともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。
新年、明けましておめでとうございます。昨年の七月に「七夕」から始まったこの連載も、もう折り返し。夏と秋をこえ、新しい年を迎えることとなりました。読んでくださってありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年の瀬に、餅つき機を。
年末年始の休暇は、どこにも行かず、夫婦ふたり(と犬一匹)で家でのんびり過ごすことにした。わたしがまず「餅つき機を買いたい」と言い、夫も「いいね」と賛同してくれて、連休のはじめ、二人で家電量販店へ買いにいった。我々夫婦は家電量販店へ出向くのがすきだ。そして餅もすきだ。
店頭で、「餅つき機」にするか「餅つき機能のあるホームベーカリー」にするかをしばらく悩んだ。純然たる「餅つき機」のほうが完成度の高い餅がつけそうだ。けれども、見れば見るほどパンも焼きたくなって、結局は「餅つき機能のあるホームベーカリー」を買うことになった。
何年か前に「ホームベーカリーが欲しい」と言ったときには「いらんだろ」とあえなく却下された。まさか「餅」を引き合いに出すことでこんな簡単に賛同を得られるとは。と、内心わたしはほくそ笑んだのだった。
それぞれの頭の中の「餅」
「お餅を食べる」と聞いたとき、思い浮かべる「餅」は十人十色らしい。わたしは夫と結婚して、夫の家族と年末年始を過ごしたりするなかで、そのことを思うようになった。これは「お雑煮」の話ではない。お雑煮も地域によって出汁や具、飾り付けに違いがあるわけだけれども、これはそういったことではなく、「餅の食べ方」の話だ。
たとえば、夫の実家における「餅」とは「焼いた餅に醤油をつけて、海苔で巻いたもの」であった。「かよちゃん、お餅食べるかい?」と義母に聞かれ、ハイと答えると、それが出てきた。わたしだけでなく、夫にも、義父にも、義兄にも、小学生の甥にも、それぞれに合った個数ずつ、同じものが出された。醤油をつけて海苔で巻かれた餅。全員でそれをぱりぱりと食べた。
わたしは、ナルホド、と思った。そういえば以前、お腹が減ったのに家にたいした食材がなかったときに「お餅ならあるよ」とわたしが言うと、「餅いいね。でも海苔がないんじゃない?」と夫は言ったのだった。そのときは、海苔で食べたいんだな、とさして気にとめなかったけれども、こういうことだったのだ。夫にとって「餅」と言えば、問答無用でコレだったのだ。慣れ親しんだ、夫の頭の中の「餅」。その発見に、なんだかわたしは愉快になった。みんなでぱりぱりと食べた海苔のお餅は、とても美味しかった。
わたしの頭の中の「餅」
いっぽう、わたしにとっての「餅」と言えば、冬になると食べることができる「つきたての餅」だった。わたしの実家は石川県の能登半島で飲食店を営んでいた(今はもうない)のだけれども、そこの調理場で、祖母や母が餅をついていた。ついていた、と言っても臼と杵でエンヤコラしていたわけではなく、大きめの餅つき機を出して、ぐるぐる回る餅を見守りながら打ち水をしたりしていた。のだと思う。幼い頃の曖昧な記憶であるし、それでなくとも彼女らがいそいそと何をしていたのかは当時からよく分かってはいなかった。ただ「これが始まると美味い餅が食べられる」という、そのことだけは理解していた。
調理場の台には、砂糖醤油や大根おろし、納豆、餡子など、「餅につけるやつ」がいくつかの皿に雑然と並んでいて、わたしや姉は、好きな皿を持って、餅つき機の周りをうろうろする。すると、熱感度がどうかしているとしか思えない祖母の手が、つきたての、熱々の餅を一口大にちぎっては、わたしや姉が持つ皿にぽいぽいと投げ入れてくれたのだった。子どもたちだけでなく、父や母、調理場の従業員さんたちも、おのおの好きな味で、祖母によってちぎられた、つきたての餅を食べていた。調理場の端で行われていた、行事というほどの行事でもない、何気ない冬のひとときのことを、わたしは時折思い出すのだった。
「つきたての餅」の尊さ
しかしわたしは、大人になって知るのである。「つきたての餅」は、つきたてにしか食べられないことを。文字にするとなんと当たり前のことだろうか。しかし本当にそうなのである。餅は保存食として重宝されてきたものであるし、焼いても茹でてもそれはそれで美味しい。けれども、つきたてのあの、ふわふわのもちもち、それでいて瑞々しく、つるりと柔らかな食感は、保存用に硬くしてしまった後では、もう二度と味わうことは出来ないのだ。
実家の飲食店はたたんで土地ごと売り払ったので、あの調理場はもうない。両親は離婚したし、祖母だってもう元気に餅をちぎれる年齢ではない。だからわたしは餅つき機を買った。「つきたての餅」を食べたければ、自分でつくればいいのだ。そしてそれは、特段むずかしいことではなかった。
「餅につけるやつ」ベストワン
わたしは大根おろしがすきなのだけれども、大根をおろすのが苦手だ。苦手というか、きらい。面倒くさい。ずいぶんな力仕事だと思う。そんなヤワな主婦のニーズに応え、スーパーにはおろした状態の大根も売っている。しかし当然ながら、価格のわりに量が少なくて、買うたびにいつも少し後悔する。大根おろしはどっさり食べたい。わたしは「餅につけるやつ」の中で、おろしポン酢がいちばんすきだ。
つきたての餅!
ついに、つきたての餅ができた。餅つき機(能付きのホームベーカリー)のなかでぐるんぐるん回っている。しかし、ここからが勝負なのだ。
幼少期、わたしは祖母がちぎってくれる餅を食べるだけで満足していたけれども、この餅つき機を買ったその日に意気揚々と餅をつくってみて、わたしは知った。つきたての餅は、そうそう上手く扱える代物ではないのだった。餅を扱うときに手にとる水も粉も(今思えば)少なすぎて、熱々の餅が、手や皿やそこらじゅうにひっつき、散々な有り様だった。たった2合の餅でさえそんなだったのに、あの巨大な餅のかたまりを手際よく捌いていた祖母の手は、やはり凄かったのだ。
今日は2回目だから、水も粉も(過剰なほどに)たくさんつけて、前回よりはずいぶん上手にケースから取り出せた。今回は3合ぶんの餅をつき、半分は小さくちぎって用意した皿に放り込み、もう半分は保存用に丸めた。「餅 丸め方」もyoutubeで検索して、予習済みだ。それでもやっぱりイメージトレーニングほどには上手くいかなくて、相変わらず大きさの揃わない、いびつな餅がたくさん出来た。
これから、これから。
いびつでも、つきたての餅はやっぱり美味しい。美味しいけれども、餅を扱う自分の手は笑ってしまうくらい覚束なくて、祖母や母のそれとは程遠い。毎年の季節の移ろいのなかで、冬になれば当たり前のように餅をつき、つきたての餅を振る舞い、保存用の餅を切る。それがさまになるまでにはもうしばらくかかりそうだ。
何はともあれ、「つきたての餅が食べたい!」というわたしの願いは年始早々に叶えられた。何なら念願のパンも焼けた。2020年、幸先のいいスタートだと思う。厄年も抜けて、今年はなんだか、いい年になりそうな予感がしている。
そんな感じで、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは、また如月に。
Photographer : つかだふ(Twitter @tsukadacolor)
中古を買ってリノベーション by suumo
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「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにてQ本家が紹介されています。