vol.04 神無月、草木染め。玉ねぎで、靴下を染めたよ。
わたしはこの部屋で日々、わたしという役を生きている。登場人物はおもに、夫と犬と、わたし。演出、わたし。観客も、おもにわたし。ここは、芝居の稽古がない日のほとんどを家の中で過ごす、わたしによる、わたしのための舞台だ。このコラムは、そんなわたしの生活のありようを、月々の季節の風習とともに紹介するコラムです。理想を描いたリノベーションコラム『正直なすみか』その後、のおはなし。
普段の生活のなかで、気晴らしに買ってしまうものがわたしには2つある。マニキュアと、靴下だ。これは多くの友人の賛同を得ている話なのでわりと一般的なことのはずだが、「何でもいいから何か買いたい」という欲求が、ひとにはあると思う。少なくとも、わたしにはある。そういうときにいつも、マニキュアや靴下を買う。ちょうどいいのだ。マニキュアも靴下も、高級なものでなければ500円玉一枚あれば買えるし、つま先や足元にほんのり新鮮さをもたらし、ちいさな満足感をくれる。
無印の靴下
というわけで、わたしは靴下をたくさん持っている。いろんな色を持っている。おかまいなしに洗濯乾燥機にかけるものだから、すぐに傷む。だからいくつも持っている。なかでも無印良品の白いスクールソックスはお気に入りで、同じものを3足持ち、頻繁に履いている。ただの白くてリブが細かい中途半端な丈の靴下だけれども、どんな恰好でも邪魔にならないし、靴との合わせ方によって、カジュアルにも、トラディショナルにも見える。気に入っている。けれども、同じものが3足ある。だから、そのうちの1足を染めることにした。
玉ねぎ染め
靴下を染めるために、玉ねぎを買った。ほんとうは、どんぐりにしようと思っていた。このコラムは一応「わたしの生活のありようを、月々の季節の風習とともに紹介するコラム」ということになっているので、どんぐりなどの秋の木の実でやるほうが、季節感があるだろうと思ったからだ。でも、わたしは気がついてしまった。どんぐりの在り処がわからない。先月のススキのときにも思ったけれども、生まれ育った能登にはあった。すこし歩けば森や林があったし、どんぐりや椎の実をよく拾っていた。拾った木の実を持ち帰ると、母が炒ってくれて、それなりに美味しく食べていた記憶がある。しかし東京では、自分が暮らす街のどこにどんぐりが落ちているのか、まったく見当がつかなかった。それでなくとも今月は、舞台の本番もあって忙しなかったので、おちおちどんぐりを探して拾う手間を惜しんだ結果の、玉ねぎであった。3つ入りを5袋、計15個の、玉ねぎ。
玉ねぎを剥く、泣きながら
玉ねぎ染めをするには、染めたいもの(今回で言えば靴下)と同じくらいの重さの玉ねぎの皮が必要だった。靴下の重さをはかると、およそ38グラム。に対して、玉ねぎ1個を剥いたときの皮の重さ、およそ3グラム。つまり、少なくとも玉ねぎを12個程度は剥かないといけない。本来ならば、普段の食卓に並ぶ玉ねぎの皮を少しずつとっておいて、たまったときに染物をする、というのが美しい在り方のように思うけれども、そういったことは考えないようにして、わたしは玉ねぎを剥いた。黙々と剥いた。涙が出た。
玉ねぎを扱うときに涙が出ないようにする豆知識は、いくつか知っている。けれどもいつも、泣きながら切る。豆知識を実践することよりも、玉ねぎのせいで涙がぼろぼろ出る現象のほうが、なんだか面白いように感じて、すこしすきだ。
皮を煮詰める、琥珀色に
排水口用の水切りネットに、皮をつめて煮る。皮をそのまま煮詰めてあとで漉す方法でもよいらしいけれども、楽そうなやり方にした。巾着みたいでかわいい。お湯に皮を入れると、すぐに色が出はじめた。
色というのは不思議だ。大人になればなるほど、花や草木の美しさに心打たれるようになった。あんなにも鮮やかな色たちが、最初からこの世界に用意されているということに、しみじみ感心してしまう。昔は「花を愛でるなんてババくさい」と思っていたのに、わたしはヤワになってしまった。花を見ると泣く。玉ねぎを剥いても泣く。泣いてばかりだ。
ところで、エジプトやインド、メソポタミアなどで、5000年も前からひとは口紅を塗っていたという。自分の体にきれいな色をあしらいたい、という願いがずっとずっと昔からあって、さまざまな天然の染料を先人たちが作り上げてきたのだな。などと、ぐつぐつ煮える玉ねぎの皮を眺めながら、古代文明に思いを馳せたりした。
ミョウバン、その効果
今回の玉ねぎ染めに必要な道具は、おもに2つだった。玉ねぎの皮と、ミョウバン。ミョウバンというものを、わたしはよく知らなかった。なんか、おばあちゃんが茄子の漬物に入れていたような気がするな、という程度の知識だった。そして今でも、その程度しかわからない。何はともあれ、ミョウバンが必要だった。玉ねぎの染料で色をつけた布を、ミョウバンを溶かした湯につけおくことで色を定着させる、ということらしい。「媒染」というらしい。銅や鉄などでもできるらしい。ミョウバンでやるものは「アルミ媒染」というらしい。わたしは昔から、理科が苦手だ。
しかし、このミョウバンがすごかった。くすんだ茶色だった靴下が、ミョウバン液に入れた瞬間いっきにぱっと明るくなった。明るい黄色。わあ、と声が出た。理科は苦手なので、何がどうなってそうなったのかを解明はしないけれども、まぎれもなく何かの化学反応が起きていて、面白かった。
最初、玉ねぎの液につけたときは、どれくらい染まるのだろうかと訝しんでいたけれども、もとの白い靴下と並べて見ると、ほんとうにきれいな山吹色に染まった。はじめからこの色だったみたいに鮮やかで、これを自分で染めたのだと思うとより一層うれしかった。
色落ちも楽しみ
草木染めは、どうしたって色落ちはするという。それもいいなと思います。この鮮やかな山吹色がどんなふうに褪せていくのか、履きながら楽しんでいきたい。
玉ねぎ15個ぶんの色をつけた、1足の靴下。たぶん、おそらく、500円玉一枚あれば、もっと上質で色落ちもしない、新品の靴下が買える。けれども、泣きながら剥いた玉ねぎの皮で染まったこの靴下は、やっぱりけっこう愛おしい。この世界がモノクロではないことに感謝しながら、今日も明日も玉ねぎを食べることにする。
ずいぶん、寒くなってきた。
それでは、また霜月に。
Photographer : つかだふ(Twitter @tsukadacolor)
中古を買ってリノベーション by suumo
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「リノベーションと暮らしのカタチ」の事例として、表紙/特集ページにてQ本家が紹介されています。