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「つぼ巣とポケット」の連載を始めたときは、子はまだ2歳だった。
毎日2歳児と一緒に過ごしていて、今まであった身軽でマイペースな暮らしは一時的に遠くに行ってしまい、狭い世界で生きていた。そしてその狭い世界は、輝きと発見に満ち溢れていた。
ポケットにおさまるような小さな宝物のことや、つぼ巣のように小さいけど落ち着けるこの家やこの街での暮らしのことを書こうと思ってタイトルをつけた。
子は3歳になり、そして4歳になり、だんだん行動範囲も広がるはずが、この1年はずっとこの街にいる。
ヨーロッパにも南の島にも、おばあちゃんの家や友達の家にも出かけられた2歳の頃の方がずっと身軽で、なんだか夢のように自由だったなぁと思えるぐらいだ。
行ける範囲の今あるもので楽しみ、身の回りのことを見つめ直すのは新鮮でもあった。
近所を散歩するのも、通り道に咲いている花を見るのも発見があって楽しい。晴れた日のひなたぼっこは今までと変わらず心地いい。
先が見えない不安はあったけど、もともと家にいるのが好きなので、日々はそんなに苦痛ではなかった。
だけど、そんな日々がいつまで続くかわからないまま1年が経って、なんだか心細くなった。
今だけ、今だけと思いながら長い時間が経って、ふと気づいたら、今までの普通だった暮らしが驚くほど遠くに行ってしまっているような感じ。
この感じは、母が亡くなってしばらくしたら、あんなに近くにあった母との日々が手が届かないほど遠くに行ってしまっていることに気づいたときの感じと似ている気がする。
別れの瞬間は悲しいけれど、近くにあったはずの記憶がどんどん遠くに行っていることを実感するのはそのたびにさびしい気持ちになる。
1つ違うのは、あの普通だった日々が戻ってくるか戻ってこないかわからないこと。
少しずつ戻ってくるものもあるだろうけど、この1年で気に入っていたお店もいくつかなくなってしまったし、このまま戻ってこないものもきっとたくさんあるんだろう。
元々友達と頻繁に会う方ではないし、家にいることが多いので、日常はそんなに変わらないけど、ずっと行きたかった場所に旅行するのとか、たまに遠出してなかなか会えない遠くの友達に会うのとか、人生の結構大きなモチベーションになってたな…と思う。
家と近所は大好きだけど、年に数回そういう機会があるのとないのとで全然違う。
オンライン世界旅行は楽しかったけど、森の中を歩くのと、森の写真を見るのはやっぱり違う。
なんて豊かだったんだろう。あの頃の世界がそろそろ恋しいなぁ。
つぼ巣の中からひっそりと外の様子を見ている。
つぼ巣の中で、ポケットの中の小さな宝物を愛でながら。今ある世界の豊かさを愛でながら。
いつかまたどこかに飛び立てるのかなぁ。
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