財布を新調しようと思っていた。
長年酷使し続け、随分くたびれていたからだ。違う見方をすると、いい感じにエイジングされているとも言える。
しかし今回一から作り直そうかと思い立った。なんとなく気分を変えたかったのだ。
サイフといえば思い出すことがある。財布を落とした時のことだ。
財布には生活が詰まっている
18歳、寒い冬のことだったと記憶している。
当時は大阪の梅田にあるデザイン系の専門学校に通っていた。
岡山の田舎から出て来て一年も経っていない時期。私鉄という概念がなかったので、JRの大阪駅と阪急の梅田駅の違いもわからなかったことが懐かしい。
学校からの帰り道、いつものように梅田駅を定期券で改札を抜け電車に乗る。赤茶色の阪急電車は満員でもなく空きすぎてもいない混み具合で下新庄駅まで運んでくれる。
ぼうっとしてると京都まで行ってしまう電車に乗り、淡路駅で乗り換え。下新庄駅で電車を降りる。
改札を通ろうとした時にやっと気がついた。お尻のポケットに入っているはずの財布がない。
当時使っていたのはポーターの財布で、ジッパーのついた二つ折りのものだ。値段的にも年相応のものだろう。
落とした場所はすぐに思いあたった。梅田駅で改札を抜けて定期券を財布にしまったあの時だ。あの時に落としたのだ。
すぐさま反対側の電車に乗り込み、梅田駅へ引き返す。
駅員さんに財布の落し物が届いていないか調べてもらうが、やはりない。
世の中のなんと薄情なことか。中身の入った財布が入った財布が無傷に戻ってくる方が奇跡なのだろうか。
しかし嘆いていてもしょうがない。
財布の中身は現金が一万円くらい、そのほか定期券、免許証、銀行やレンタルビデオのカードなどがぎっしり。これもう僕はこの先、生きていくことができないんじゃない?
肩を落とし再び下新庄に戻る。とにかく家に帰って落ち着きたかった。
切符を持っていない、お金も無一文の状態。事情を話しなんとか駅の改札を抜けることはできた。映画のターミナルよろしく駅構内に住むようなことにはならなかった。
しかしアパートの玄関までたどり着いて重大なことに気づく。僕は家の鍵も財布にくっつけていたのだ。
アパートの一階にあるたこ焼き屋さん
幸い電話(当時はPHS)は持っていたので、アパートの管理会社へ鍵をなくしたことを電話で伝える。すでに夜になろうとする時間だったので明日の朝に取りに来てくださいとのことだった。
今日を乗り切らなければならない。
続いて近所の友人に電話をかける。事情を話し、泊めてもらうことと、バイクで迎えに来てもらうことまでお願いした。今思うと随分厚かましいが当時は今と違い、すごく軽いノリで友達の部屋に泊まっていたなと思出だす。
しかし当然すぐには迎えにこれそうにない。外は真冬。凍えるように寒い。
僕は一階のたこ焼きやさんに避難させてもらうことにした。
これはとても大阪らしいな、と思っているのだが、当時僕が住んでいたアパートの一階にたこ焼き屋さんが入っていた。おばあちゃんが一人で切り盛りしていて、たこ焼き10個で200円。きちんと大きいタコもちくわもネギも入っていてこの破格の値段だ。
一度おばあちゃんに聞いたことがある。
「この値段でやってて赤字じゃないの?」
「そやねえ、趣味みたいなもんやからね。利益はほとんどないけど、これやってるとボケなくていいからねえ」
と返ってきた。
そういうものか、と当時は思っていたけど今だったらなんとなくわかる気がする。
人にもよるだろうが、歳をとってから暇を持て余すのもそれはそれで味気のないものかもしれない。
おばあちゃんの優しさ
たこ焼き屋さんは基本的に持ち帰り専門なのだが、一応二席だけのカウンターがある。
僕はおばあちゃんに事情を話し、友達が来るまで待たせてもらいたいとお願いした。
「ええよ、寒いからな。中で待っとき」
そう言って快く中へ入れてくれた。
特にすることもなくぼーとしているとスッと目の前にたこ焼きが差し出された。
「えっ? 僕お金ないけど…」
「にいちゃん、いっつも買うてくれてるからええねんて」
なんとう暖かさだろう。
「ありがとう……」
そのたこ焼きは冷えた身体と凹んだ心を温めてくれた。
やがて友達が迎えに来た。『イージーライダー』という映画を思わせる、がっつり改造されたアメリカンなバイクをブオンブオン鳴らしながら。
先ほどの暖かい空気があっという間に崩れたが、こうして僕は無事にその日を越すことができた。
たこやきののれん
経験ある人も多いだろう。そのあとは免許証から銀行、すべてのカードの再発行手続きなどこれでもかというくらいに大変でめんどくさかった。
やがて僕はその家から引っ越し、別の場所へ移り住んだ。
おばあちゃんに引っ越しの挨拶をしたとき、
「あんたおらんくなるんなら、わたしも近いうちにやめようかな……」なんて残念がってくれた。
たこ焼き屋さんは線路沿いにあるので電車に乗っていると窓から見える。その後も当時の家の前を通る時、毎度たこ焼き屋さんがあるかを確認をしていた。
「たこやき」と書かれた赤いのれんが目に入るたびになんだかホッとしていた。
おばあちゃん、元気でたこ焼き焼いてるんだな、と。
それ以来、僕は財布の紛失に非常に神経を使うようになった。
もう、あんなにいいおばあちゃんはそばにいないから。
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