ドライアイなので日々目薬は欠かせない。
しかし先日、目薬を紛失してしまった。それもケースごと。
いつも入れているポーチの中に入っていない。玄関に置いてある小物入れのトレーにもない。
カバンの底までくまなく探したがどうしても見つからないのだ。
目薬自体はドラッグストアで安く買える。でもケースはもう7年くらい前に革で作った自作のものだ。当時、自分が使うものだからと簡単に作ったものだがなんかちょっとショック。
目薬を買ったらついてくる既成のケースはなんだか味気ない。
というわけで、新たに目薬ケースを作ることにした。
目薬が欠かせない人間
誰だって日々生活するにあたって、なくてはならないものがあるだろう。
ある人にとってそれは物であったり、大切な人だったり、十人十色。
僕にとって目薬がそれだ。
思い返せば学生の頃からカバンには常に目薬が入っていた。目薬を切らした時期はないのではないか。若い時はやたらすぐに結膜炎になったし、花粉の時期なんか命の次に大事だ。
毎朝、そして仕事終わりにポーチへ決まったものを入れ込む。会社用のスマホ、目薬ではない薬一式、会社に入室するためのセキュリティカード、そして目薬だ。
ある日、家に帰って目薬を探すとポーチの中に入っていない。昼過ぎに目薬をさした記憶が確かにある。さしてる最中に話しかけられたから数滴無駄に流してしまった恨みで覚えている。
しかし、まだ慌てない。赤子泣いても蓋取るな。退勤する時に間違って文房具と一緒に引き出しに入れた可能性が高いのだ。これは以前もあったことだ。
そして次の日、会社のデスクをくまなく探したが見当たらない。
あれ? これはどうやら本格的に無くなっちゃった??
ふんがもの仕業?
『ふんがも』という言葉を知っているだろうか。
これは昔、田口ランディさんの『オカルト』という本を読んで知ったものだ。
物がなくなって見つからない。あったはずの場所にない。しかし忘れた頃に絶対に探したはずの場所で見つかった、という経験があなたにもないだろうか。
これが、ふんがもと言われる。
ふんがもが現象に対しての名前なのか、妖怪のたぐいなのかはよくわからない。本でもどういう扱いだったかあんまり覚えていない。
でも僕は昔の鬼太郎を見て育ったので、ふんがもを妖怪だと思いたい。
それにしてもふんがもという語感が好きだ。
たまに、何かものがなくなると「ふんがもの仕業だ!」なんて口走ってしまう。そして残念ながら誰もふんがもという言葉を知らないので僕が意味不明なことを言ったような空気になってしまうのだ。みんな遅れてる。使っていこうぜ、ふんがも。
僕は過去に何度かふんがもの被害にあっている。
今回の目薬の件も「こりゃあ、ふんがもの仕業だよ」とひとりごちて、忘れた頃にひょっこり出てくると思っていた。
しかし目薬がなくなってすでに四日がすぎた。今回は一向に出てくる気配がない。
目薬がないと生活に支障が出る。辛い時(目がかゆい)に救いの手がないのって絶望じゃないですか?
ここでやっと新しい目薬を買うことを決意した。
ふんがもの意義
ところで、ふんがもってなんなんだろう?
個人的な見解だけど妖怪自体が概念的なものが多いと思っている。
妖怪の話の裏側には教訓めいた話も多い。
例えば、うかつに川遊びをすると河童に足を引っ張られる、お風呂をきちんと洗わないと垢舐めが出てくる、物を粗末に扱うとつくも神に化ける(これは神様か)…etc
もしかするとふんがもは単なるいたずらではなく、「ものを大切に扱おうよ」っていう教訓的な妖怪なのかもしれないな。
豊かになり物が溢れる日々の暮らし。
ふんがもは当たり前にあった物を一時的になくす(隠す・見えなくする)ことで物の大切さを改めて実感させるための妖怪ではないのだろうか。
よく言われることで、病気にならないと健康のありがたさは分からないって話があるでしょう。
ふんがもはあれと似たようなことを啓発してくれてるのかもしれない。
今回のことも目薬をもうちょっと大事にしなさいと教えてくれたのかもしれない。いつも当たり前にあるものは当たり前ではないのだ……。
そして新しい目薬ケースを作った二日後にカバンの中から古いのがぽろっと出てきたよ。
ほら、やっぱりふんがもの仕業だ。
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