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世の中を自分の目を通してしか見ることができないのはもったいないなと思っていた。一生自分という箱の中から世界を見ている。
他の人たちはどんな毎日を過ごしているのだろう、と体験してみたくなることがあるけれど、その人と入れ替わることはもちろん、1日中ついて歩くこともなかなかできないから想像するしかない。だからこそ、映画や小説で違う人の人生を体験するのがおもしろいのだろうなとも思う。
それが、子と毎日を過ごすようになって変わった。他の人の人生を隣で1日中眺めていられるようになったのだ。
赤ちゃんの頃から、子を連れて出かけるとすれ違うたくさんの人がほほえんでくれ、時には話しかけてくれた。
優しい人が多いのだな、と思った。実際に優しい人が多いのだけれど、それだけでなく子が自分から周りの人たちにほほえみかけているんだ、と途中で気がついた。
少し成長して話せるようになると、子は通りかかった人に「こんにちは! いまから こうえんに いくの。こうえんで おともだちと なかよくあそぶの(子は知らない子供のことを「おともだち」と言う)」と話しかけたり、カフェで気づいたら隣のテーブルのマダムに抱っこされてマダム会に加わり談笑していたことまであった。スーパーのレジでもカフェでも、ニコニコしながら相手に声をかけるのでいろんな人にかわいがってもらえた。
これが社交的な人の人生か…と思った。このどんどん人とつながって世界が広がっていく感じ、今までの私の人生にはあんまりなかったなぁ。
私は物心つく前から母に引っ込み思案なことを心配されていたので、生まれ持った気質なのだろう。自分の世界にこもって何か作ったり想像したりすることがとても楽しかったので、この気質は周りが心配するほど悪いものではなかったけれど、どんどん人と仲良くなって世界を広げていける人のことはずっとうらやましかった。
たくさん友達がほしいわけではなくて、気の合う人が何人かいればいいと思っていたけれど、ある程度は世界を広げないと、どこかにいるかもしれない気の合う人にも出会えないからだ。
私が大人になってもうまくできなくて、ときどき悩みのタネにもなっていることを、わずか3歳の子はやすやすとやってのける。
でも、ずっと近くで見ていたら、少しだけコツがわかってきた気がする。笑顔だったり、ちょっとしたことを話しかけたり、内気な人にはそのちょっとしたことが難しいのだけれど、少し自分からアクションすることがこんなにも世の中の景色を変えてくれるのだなぁと体感することができた。近くで生き方を見せてくれてありがとう。
1歳でも3歳でも、自分以外の人はみんな、自分にはない長所を持っているなぁ。人っていろいろでおもしろいし、これからも人と出会っていきたいなぁ。
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